今年の1月に、「居場所の作り方」というポストを書きました。「のんびり生活」というカテゴリーに所属しているポストで、内容はマイホーム的な(人間関係を含む)生活作りに当たります。そのポストをアップした後に、「あなたの居場所は、Mr. Nakayoshiだ」、と友人が言ってくれました。確かに、そのポストを書いている時に、夫に相談したら、どうも「居場所」という単語は、実際の場所ではなく、人間関係の中における個人の位置を指しているという話になりました。それで、今回「仲良し論」という視点から改めて居場所を考えてみたいと思います。
居場所を作るというのも、出来ます。そして、何だかんだの形で与えられてくる居場所もあります。この世に生まれてきたら、だいたい「娘・息子」という居場所になり、就職したら「同僚」って肩書きがつきます。住むアパートがあるのならば、多くの場合「お隣さん」として活躍できます。同じ店に何回通ってしまうと、「常連」という居場所が生じます。

そういうふうに、いくつかの種類に分かれて居場所を考えましょう。
家族
居場所としての大きいです。年をとることによって家族の形も変化し役割と責任も変わります。家族を持つことは、ステータスみたいなもので、自分の配偶者や子供を自慢にしたがる人も少なくないでしょう。ないものをねだりして、親や親戚にせめられて、無理やりに結婚する人もいないでもないでしょう。(結婚相手の見方は、とても重要な問題で、また別な機会に細かく論じたいと思います。)作り方は、一目ぼれからお見合いまでさまざまで、方法ありすぎているせいで、悩む人も多いみたいです。
結婚相手以外の家族は、作ったというより、与えられた人たちです。自分の親、自分の子供。(ちなみに、結婚相手の親は与えられたものではなく、作ったものです。作る時に、気をつけたほうがいいですよ、笑。)与えられた人だから、比較的に努力がいらないと考えがちなもの。それって本当かな?ちょっとサボテンの写真を見てご覧。みんなサボテン同士なのに、お互いにとげを指さないように、とても努力していますよ。毎日ささやかな努力の必要性を与えてくれる居場所。
友達
家族がいない場合は、友達が家族の代わりに居場所になれます。
友達を作るのは、大変時間がかかるものです。エネルギーもかかります。そして、多くの場合は、一生懸命友達になろうとしている人が、自分の見方になれず、代わりに、自分が気づいていないうちにずっとそばにいた別な人が実は友達になってくれています。そういう経験、ありませんか?
友達作りをスピードアップしたい時に、一つだけの工夫があります。同じ趣味を探すことです。同じスポーツ、音楽、時間のすごし方をしている人ならば、少し友達なりやすいでしょう。時間を一緒にすごしてくれる居場所。楽しい時間も、大変な時間も。

同級生・同じ学校の卒業生
学校へ通う楽しさの一つは、周りに多くの子供立ちがいることです。そして、いくら年をとっても、みんなもとの同級生のまま、人生を歩んで行きます。同窓会であったり、お互いの成功にやきもち焼いたりする居場所であります。
学校を変えたり、留学したりすると、仲間になりにくくなります。その時に、同じ立場にいる学生がいたら、その人にくっつくことがよいのでしょう。日本で出来た一人の友人は、そういう人で、彼女は留学から戻ってきて、下の学年の授業を受けることになって、誰も知らない中で、私の前か後ろに座りました。そして、レジュメを配っていた時に目が合って話をはじめました。あの授業の内容は、あまり覚えていませんが、一人の大切な居場所が出来ました。
ルームメート
ルームメートってとても楽しい居場所です。アメリカに住んだ最後の時に、一人のルームメートがいました。彼女は、私に楽しいルームメート生活の形を教えてくれました。そして、私は、彼女のことを話す時に「this is my favorite roommate」というようになりました。もちろん、彼女はそれを聞いていつも笑っていました。一人のルームメートしかいないのに、「一番好き」と名乗るのが、冗談ですが、愛の言葉でもありました。一緒にご飯出来る人、たまにお話も掃除も一緒に出来る居場所。
最後に、一つ加えたいです。日本語の居場所は、アイデンティティに近いのかもしれません。個人の社会におけるの場所。たとえば、私は日本では外国人であって、それも一つの居場所と言えるのでしょう。どうでしょう?日本の社会が私の居場所ってわけ?